第23のひかり
自然のたより
―他の議論が不可能であることを示して、アッラーの存在と唯一性が明らかであるのを証明する。―
17番目のレマーの16番目の通告であったが重要であるため23番目のレマーに変えた。自然に由来する無神論を再び復活させぬように撲滅し、不信仰の礎石を崩す。
注意-1
この通告では自然学者たちの中の不信仰の方が進んでいる道がどれほど非論理的で迷信的であるかを少なくとも90の不可能を包含する9の不可能なことで説明してある。他のリサーレ(便り)では例の不可能なことは部分的に説明されているため簡潔を守るようにある頂は省略されている。そのため学者たちが、迷信的であることが明瞭なのになぜ信じているんだろう。」と言う考えが頭に浮かぶ。
さて彼らは自分たちが進んでいる道の真相を見れないので彼らが進んでいる道の実情とその道が必要としていることのは下に説明されている。汚くてふさわしくないことであるのをかなり明るくて絶対的な証拠を使用して疑っている人に詳しく説明し証明する[21]。
بِسْمِ اللهِ الرَّحْمَنِ الرَّحِيمِ
قَالَتْ رُسُلُهُمْ اَفِى اللهِ شَكٌّ فَاطِرِ السَّموَاتِ وَاْلاَرْضِ [22]
「慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名おいて」
「使徒たちが言った:あなた方は天と地を創造された方アラーに就いて疑いがあるのか。」
クルアーンのこの節は否認を認めさせながら質問し「アッラーに就いて疑いは無いし、あるはずも無い」と言いアッラーの存在と唯一性が明らかであるのを証明している。
注意-2
1338年に(イスラム暦)にアンカラに行った。イスラム軍がギリシャ軍に勝ったため復活した信仰の強い考えの中に、非常に恐ろしい不信心の考えが入ろうとしていて、信仰の真理を壊し不信心の考えを植え付けるために悪魔のように懸命に努力しているのを見た。「ああ!」と言った。「この竜が信仰の原理に手を出す!」。その時、上記の節は明らかにアッラーの存在と唯一性を説明しているため、その節に助けを求め、不信心の考えを打ち砕くほど強い、重大なクルアーンから得た証明をヌールのアラビア語の論文に入れた。アンカラのイェニギュン印刷所で印刷してもらったが残念ながらアラビア語のできる人が少なく、注意深く読んだ人も非常に少ないため、この短くて簡潔な証明は影響を与えず、あいにくその不信仰の考え方は発達し強くなった。やむを得ずその証拠をトルコ語で部分的に説明する。その証明のある部分は色々なリサーレで完全に説明されているためここでは簡潔に書く。他のリサーレでは別々に説明されている証拠はこのリサーレで短くされまとめられている。
前書き
人間よ!これを知ってほしいのだが、人々の口から発する無信心を感じさせるような言葉がある。信仰のある人々も知らないでその言葉を使ってしまう。その言葉の中で、重要な3点を説明する。
1番目:原因(熱や湿、風、引力等のようであって、結果をもたらす物理的な理由)が事物を創造する。
2番目:自分で自分を造り出して終わる。
3番目:自然である。自然が必要として作り出す。
さあ物事は存在していて、これだけが否定できない。それに全ての存在が巧みに知恵のあるように現れている。それに存在の始まりがあると分かっているし、終わってまた作り直されているのも分かっている。
無信心の人よ!確かにあなたは言う:「この存在を、たとえばこの生き物をこの世の原因が創造している。つまり原因のまとまりで生ずる。あるいは自分で自分を作り出す、または自然が必要としているため自然の影響で生ずる。それとも全力全能の唯一のアッラーの力で創造される。論理的にこの四つの考えのほかに考えが無い。最初の三つの考えが不可能で無用でありえないことであるのを明確に証明すれば当然、本質的に四番目の「唯一のアッラー」の考えは疑いなく正確であることになる。
1番目の道
「世の中の原因のまとまり」で物の構成と生き物の創造である。たくさんの不可能の中から三つを述べる。
不可能1.1
ある薬局に、中に色々な物質が入っている数多くの瓶がある。その瓶に入っている物質を使用して一つの生命体を作るとする。すると、その薬局で作ろうとした生物の多種多数を見た。調べてみたら各瓶から特別な計算にしたがって取られた物質によってそれらの生命体が作られたのが分かった。もし、少しだけでも少なかったり多かったりすると生命体ができない。
さて、薬びんは様々だが、それぞれの薬ビンから抽出された成分の分量は、各々違う。抽出された成分と同量の一定量の成分が、偶発的あるいは強風によってビンが倒され、流れ出し、結合し、ある生命体を形成するなどということはありえるだろうか?
またこの考えよりもっとわるい迷信、不可能なことがあるのだろうか。ロバが最低のロバになってその後人間になり話せるようになれば「この考えを絶対に認めない」と言うに違いない!
つまり、今の例のように全ての生物は生命体にあたる。それに全ての植物は活気を与えられた薬のようなものであるが、たくさんの薬物や色々な物質の中から非常に細かい計算にしたがって取られたものからできたのである。もし原因と要素を取り去って「原因が創造した」と言ったら薬屋の素晴らしい薬が瓶の倒壊によって作られたことと同じように理にかなわないし不可能で迷信である。
結局、この世界と言う薬屋で始まりの無い唯一の神様アッラーによって作られ、計算にしたがって取られた活気を与える物質は、無限の知恵、限りの無い知識と全ての存在を囲む意欲によって現れることができるのである。「目の見えない、耳の聞こえない、洪水のように流れているたくさんの要素や、自然の元素や原因が創造したのである」と話している愚か者は「その不思議な薬は、自分で瓶の倒壊によって現れた」と話す気違いのようなものである。
さてその間違った考えは愚かな酔っ払いが言うようなたわ言である。
不可能1.2
もし全ての物事を唯一で全知全能のアッラーではなくて原因が創造したと言ったら、この世界に数多く存在する要素と理由が各生物の創作に介入しているはずである。しかし蝿のような小さい生物の体にデリケートなバランスと完璧な一致で、色々で対立している原因がまとまることは明らかに不可能であるが蝿の翼の大きさぐらいの頭脳のある人は「これは不可能だ!ありえない!」と言うはずである。
さて蝿の小さな体は宇宙のたくさんの要素と原因に関係している、ある意味で蝿の体はこの宇宙の要約(本質)である。もし全知全能のアッラーが創造しなかったとしたら、その物質の元(源)が蝿の体の極近くにあらかじめ用意されるか、または小さな蝿の体自身の中に存在しなければならない。さらに体のごく小さなモデルである目の一個の細胞の中にも存在する必要性が帯びる。なぜなら、根源が物質として存在するならば、根源は、結果として形成される物質の極近くか、その中に存在するべきだからである。つまり針よりも小さい、蝿の足でさえ入ることのできないその細胞の中で自然の要素などは存在し、労働者のように動いているのを認める必要が出てくる。こうして最も馬鹿なソフィストでさえこのような考え方は変だと言う。
不可能1.3
اَلْوَاحِدُ لاَ يَصْدُرُ اِلاَّ عَنِ الْوَاحِدِ
という決まり言葉通り「もしもある存在が唯一性を持つのであればもちろんその存在は唯一性を持つほかの存在によって創造されたはずである。」それにその存在は非常に素晴らしく秩序ある生命をもっているのであればその存在を創造したのは混乱の原因となる多数のものでなく、唯一で全知全能のものであると確実に分かる。これは明らかであるにもかかわらず。意識や気力が無く、知もなく、混沌とした中で、目も見えず耳も聞こえない自然的原因が、(その原因は可能性の満ち溢れた道では集合して交じり合い、盲目さや耳の聞こえない不自由さをより増していくのだが)その原因の混乱した手によって,秩序均衡の取れたすばらしい生物(存在)を創造したと言うのは百の不可能を受けいれるほど不合理である。
まあ、この不可能を無視しても唯物論的な理由の影響は接触と直接なコンタクトで生じる。しかし誰でも分かるようにその唯物論的な理由が生命のある存在の外観と接触するのである。だがその唯物論的な理由の手が届くはずの無いその生命体の目に見えない部分は外観より10倍もきちんとしていてこまやかで、美しくて芸術的な面でも完璧である。
唯物論の材料の原因の手といろいろな器官がけっして近くに位置できず、外面にもタッチできず、しかも最も大きい生物よりいっそう奇妙で、芸術と創造に関してはすばらしいのに、小さくて生命がある生物が属性に生命がなくて、無知の、天然のままの、遠くて、巨大で、矛盾して、耳が聞こえなくて、盲目の唯物論の原因で成り立つということは、何百の盲人と何千も聾になるということである。
2番目の道
これが『それがそれ自身形づくる』というフレーズによって表される。この方法も,あまりに多くの面に多くの不可能をまき込んで、馬鹿げていて、不可能である。例えとしてそれらの3つだけを説明する。
不可能2.1
頑固な否認者よ:あなたの自己中心癖は、100の不可能を突然、受け入れさせるほど、あなたを支配している。あなた自身は無性物または、変化しない単純な物ではない。
むしろ絶えず新しくなる非常に規則正しい機械および、連続的変化を経験しているすばらしい宮殿のようである。分子はあなたの体で絶えず働いている。あなたの体は特に、種属の食物と世代に関して宇宙と相互関係を持っている。
働く分子は、その関係を台なしにしない、壊さないように気を付ける。まるで宇宙の全てを考慮していて、それの範囲内であなたの関係を見ているごとく、仕事をスムーズにしている。あなたはそれらが取るすばらしい位置に従ってあなたの外部のと、内部のセンスと共に利益を得る。もし体の中の分子が永遠の全て強力なものの法則に従って運動している小さい役人、または軍、またはポイントのようである各々の分子がその物のペン先であることを認めなかったら、例えば目の中で働いている分子には、あなたの体のすべての部分が見られると同時にそれに関連している宇宙全体をも見ることができる目が必要となる。これに加えて各々の分子があなたの存在全ての要素の起源と食物の源とあなたの過去と未来の親戚を識別するのに十分な100の天才に等しい知性を与える必要が出てくる。。あなたのようにこの種の問題について知識の全然ない一人の分子に1000のプラトンに等しい知識があるというのは大変な迷信である。
不可能2.2
あなたの存在は石がサポートなしでサスペンションで一緒に立つ1000の丸天井(ドーム、まるてんじょう)の驚くべき宮殿に似ている。実はあなたの存在が、そのようなパレスよりいっそう千倍すばらしいである。なぜならばあなたの存在のパレスが、完全な命令で連続的に新しくなる。本当にすばらしい精神と心臓と他の微妙な才能をわきにおき、あなたの体の各々のメンバーが、宮殿のたった一つのドーム形に似ている。ドームの石のように分子は、完全な均衡と整頓とした、驚くべき建物で(例えば目や、舌で)一緒に立って素晴らしくて異常な芸術とパワーの奇跡を見せている。それで分子が宇宙のマスター建築家の命令に依存している各々の役人ではなかったなら、各々の分子は、絶対に全ての他の分子に対して支配的、かつ支配下になければならない。そして、双方は互いに同等目と舌あり、支配位置に関しては相対立する。唯一なるアッラーに関する多くの属性の起源も極端に制限される。つまり、完全なる形も完全に秩序ある個々の人工物の形、双方とも唯一なるアッラーの御業なのである。良識があれば誰でもこれが明らかに不可能であるのが分かる。
不可能2.3
あなたの体は全て強力なもののペンで「書かれていなくて」その代わりに原因か自然において印刷物であるとすればあなたの体の中の細胞ごとに何千も形があるのは必要になる。
例えばこの本が「書かれた」とすれば、たった一つのペンがある作家の知識に頼ってそれを書くことができる。他方、「それが誰にも書かれないで自分で成り立った」または「自然のせいで存在している」とすればその本を印刷するために各々文字ごとに異なる鉄のペンが必要になる。印刷所で文字ごとに鉄の形があって各々の文字は印刷される。だから一つのペンの代わりに文字数の形が要る。もし各々の文字の形のいずれも小さなペンで、芸術的で詳細達筆に書かれたならば、文字の一つのために小さなペンが何千も必要になる。もし各々の文字は完ぺきな事情で、互いに結んであなたの体のような形を取るならば器官ごとのために文字数の形が必要になる。
それでは、百不可能を必要とするこの考え方はありそうと言っても、各々の文字とあっぱれな形や素晴らしいペンを作る一人がいなかったら、各々の文字と形とペンを作るためにまたもっと詳細な程度でペンや文字や形が必要になる。なぜならばそれらも精然に作られたものであろう。これは相次ぐ続く。
もうあなたも理解しなさい!考えているこの方法にはあなたの体の分子の数で不可能と迷信がまぎれ込んでいる。アッラーの否認者よ。少しでも恥ずかしさを知り、悪行を止めなさい。
3番目の道
「自然は物事を必要とする。;自然は物事を作り出す。」この声明は、多くの不可能を含む。我々は例としてこの中の三つの不可能を述べる。
不可能3.1
もしも存在で、特に生命のある存在に見られている、明らかで知恵のあるような創造と芸術が永遠な光を我々人間に与えてくれる永遠の太陽、すなわち全知全能のアッラーの出来事でないとすれば-つまり盲目でつんぼで意識のない自然と力の仕事だと言ったらー自然が創造のためにすべての存在の中に無限の精神的な機械や工場を持つ必要が出てくる。あるいはすべての存在が宇宙を創造できる力を持っているということになる。
何故かというと、太陽の明示と反映は地球上のガラスと小さな滴の全ての小さい破片に現われる。もしもそれらのミニチュアの反映された想像上の太陽が、空において太陽の光の出来事とされない場合、中にマッチの丸い先のようなものでさえ入れないぐらい小さい破片の中に実物の太陽の外部の存在を認めなければならないことになり、それにしたがって、小さい破片の数と同じ数の太陽の存在を認めることになる。このように、この世の中のすべての生命体や存在を永遠の太陽つまり全知全能のアッラーが創造したと認めなければ、各生命体の中に無限の力や意志力や無限の知識と知恵を持つ自然か何らかの力か、まるで神のようなものが存在することを認めなければならない。しかしこのような意見は宇宙中もっともおかしい迷信である。宇宙の創造者アッラーの芸術を無意識で重要性のない自然のものとする人間は、真理にどんな動物よりも下等な無意識の生き物になる。
不可能3.2
もしも最も整頓としていて、正確な計算で、芸術的に形作られている存在を無限に強力な方つまりアッラーが創造したとしなければ、自然の各土の小さな部分にヨーロッパにある工場と同じ数の機械が存在することになるのであるが、このように考えれば数多くの果物や花の原産地となっている土がその果物や花を育てることができるようになる。なぜならば花のための植木鉢の役をしているとなっている少量の土が、中に順番に入るかわるがわる花の種を区別し色々な花を形作る才能があるのは明らかである。
もし全知全能のアッラーが創造したとしなければ、その少量の土の中に各花のための異なる自然的な機械が存在しなければならない。なぜならば種も精子と卵と成分が同じである。つまり水素、酸素、炭素と窒素の無秩序の混合である。それに空気、水、温度や光が全ての物事に対して洪水のように無意識的な行動を取っている。これにしたがってその数多くの花が異なる形をもって、芸術的で規則的にその土から出るということは、その少量の土の中にヨーロッパと同じ数の機械の存在を認めることになる。こうすれば例の生命のあるものや芸術的なものを作ることができる。
結局自然崇拝者達の不信心的な考え方が従って自然主義者という人たちの無信仰している考えがどれくらい理屈に合わないかあなたは理解することができる。
質問:もし・#33258;然が創造したとすればこれほど多くの不可能が出てくる、ものごとが起こるのはものすごく難しくなる。それでは全知全能の唯一のアッラーが創造したとすれば不可能はなぜ消えるのか。それに起こるのがあれほど難しくなった物事はなぜ非常に起こりやすくなるのか?
答え:1番目の不可能で述べたように輝いてるかけらや水滴などの輝きが太陽からいただいている光を映してるものとすれば説明は簡単にいくのであるが、もしその太陽との関係を怠ったらすべてのかけらや水滴の中に非常に複雑な形を持つ小さくて数多くの太陽の存在を認めることになる。同様にすべての存在を唯一のアッラーが創造したとすれば、その存在が必要としているすべての要因を彼だけから求めることになり物事が起こるのは何よりも簡単になるのである。
存在の彼との関係が切断されてアッラーに命じられた任務に従わずに取り散らかって各々存在が放任され自然に任せられたら、宇宙のまるで目次になっている小さな中にある何の認識をも持っていない自然がすべての宇宙を創造し支配もできる力を持っていることを認めなければならないことになるがこれが不可能以上である。
結局、唯一のアッラーに似たものが存在しないように万物を創造することや支配することにも手を出すのは不可能である。
それで不可能3.2にある困難とは:いくつかのリサーレでも証明されたが、もしすべての存在が唯一のアッラーによって創造されたとすればひとつのものを創造するように非常に簡単になるけれど、原因や自然が創造したとすれば一つのもを作るのはすべてのものを作るように難しくなる。これはいくつかの証拠を使って証明された。その中のひとつの証拠とは:
ある人があるお王者に軍人あるいは役人として従ったならば、従ったことによって得た力のおかげで自力の100倍もあることができるようになる。たとえば王者の名前で、ある将軍を逮捕することができるようになる。なぜならばやる仕事や作るものに必要な道具や力を自分で持たないし、持つ必要もない。同様に王者の軍隊と国庫がその道具と力を持っている。したがってその役人の仕事が大きな軍隊が大きなお金を使ってやった仕事と同じレベルですばらしい仕事になれる。小さな蟻が偉いフィルアウン(ファラオ)の宮殿を破壊させるように蝿も同様にネムルードを殺すことができた。そして、その関係を通してほんの少しの小麦のサイズの松の種が、巨大な松の全ての部分を生じさせる[23]。 その関係が切断されると、種の創造が、巨大な松の木より強力なパワーと芸術を必要とする。なぜかというと例の松ノ木のすべての部分がその種の中に存在する必要が出てくる。その木の工場が種である。種の中に書き込まれている木が外で形成される。
アッラーとの関係が切断され放任されたら、なすべき仕事に必要な道具や力を自分で持っていなければならない。その時、弱い腕の力と腰についている弾だけでできる仕事をする。関係を持った場合にできる仕事が頼まれたらその仕事をできるために腕に軍隊の全員の力を入れ腰に全員の弾をつけることになるが、何を聞いても笑うような気違いの人でさえこのようなことを聞いて恥ずかしがるのであろう。
要するに:全知全能で唯一のアッラーが創造したとすれば物事が簡単になる。自然が作ったとすれば不可能だし理屈に合わない。
不可能3.3
いくつかのリサーレに載っている次の二つの例がこの不可能を説明する。
1番目の例:
ある野蛮人は、大きな砂漠で建てられてそして文明の全ての作品で飾られた宮殿に入った。彼はその室内に目を投げかけて、何千もの秩序ある芸術的に形作られた物体を見た。愚かさのあまり彼がこう言った・#22806;から誰も干渉せずにこの宮殿の中にあるひとつの家具がこの宮殿をすみからすみまで作ったはず。・#12393;う見てもこの宮殿の中に宮殿自体を作れるものはない。それから野蛮人がその宮殿にある家具の数や種類のリストとその宮殿で暮らすためとルールが書かれている一冊の本を見つける。手も目も道具ももっていないその本もこの宮殿を作ったはずがない。しかしほかの物よりしっかりしていて宮殿の情報が色々載ってると思い、ほかの手もないから彼が・#12371;の宮殿を建てこの作品を作り飾ったのはこの本であるはず・#12392;言ってさらに自分の愚かさを証明した。
今の例のようにどんなに大きくてすばらしい宮殿よりもきれいで整頓としているこの地球という宮殿に不信心の野蛮人の自然崇拝者が入ってくる。万物を唯一のアッラーが創造したことを拒否し、アッラーがいつも書き換えている文章のようでアッラーが下す命令の掲示板かそれが載っている本のようなものになっている・#33258;然・#12434;見てこう言う:
・#12418;しこれに理由が必要だとすれば、この本より関係しそうなものは見当たらない。まあ、目も手も認識も持たないこの本が全知全能のアッラーの力によって創造できるものを創造するはずがない。しかし、全知全能のアッラーの存在を認めないから、この本がこの宮殿を創造したと言うしかない。・/SPAN>
で我々が言う:
おお!おまえ!間違っている不幸な人よ!あなたの愚かさは、想像できるよりも上回る!自然の沼から頭を救い出しなさい。そして周りを見なさい!原子から星まですべての存在が別々の方法で示している全知全能の唯一のアッラーを見なさい。それにその宮殿を建てその本に宮殿のプログラムを載せたアッラーの美しさを見なさい。命令に従いクルアーンを聞き自分を錯乱から救い出しなさい。
2番目の例:
ある非常に野蛮な人が兵舎に入り込む。非常に然としている軍人の一緒の動きをみる。一人の動きによって一つの大隊、あるいは一つの連隊が動き出すし、立ったり座ったり歩くのを、そして撃てという命令で皆で撃つのを見る。しかし愚かさのあまり、命令や命令に従うことを理解できないから全員の軍人が物質的な糸でお互いに結ばれていると思ってしまう。その物質的な糸がどれほどすばらしい糸であるんだろうと考えて感動する。
それからイスタンブールにある巨大なアヤソフィアモスクに行って金曜日の礼拝に参加する。人々が一人のイマーム(礼拝の時一番前に立ち礼拝を行う人)の言葉を聞いて立ったり座ったりするのを見る。アッラーやアッラーの命令に従って礼拝を行っていることを理解できないわけだからモスクにいる人々がもので無理やり動かされていると思ってしまいどんなに愚かな考え方よりもおかしい考え方を示す。
同様に全知全能のアッラーの兵舎でありモスクでもあるこの宇宙に何よりも危ない考え方である不信心の考え方を持つ自然崇拝者が入ってくる。その全知全能のアッラーが創造してくれた宇宙の規則を物質的なことだと思ってしまい、それにすべての規則や創造物が自分以外何とも関係していないと思い込みすべての存在を自然と命名し、アッラーの永遠のパワーを示す小さな力に過ぎない自然を全知全能のアッラーと間違ってしまう。これは最低な行いである!
結局、自然崇拝者が証拠なしで・#33258;然・#12392;呼んでいるものは実際に存在しているとしても芸術品であるが芸術家であるはずがない。
刺繍であり刺繍家であるはずがない。
規則集であり支配者であるはずがない。
法であり立法者であるはずがない。
創造物であり創造者であるはずがない。
述語であり主語であるはずがない。
規則であり力ではない、全能であるはずがない。
字であり鉛筆であるはずがない。
結局
存在は確かに存在するし16番目の通告でも述べたように存在のありさまを説明するために4つの方法しかない。その4つの方法の中の三つが、それぞれ3つずつの不可能をっ示したので愚かな考え方であるのは証明された。もちろん疑いなく4番目の方法つまり唯一のアッラーの存在を認める方法は正しい方法であるのが確実に証明された。その4番目の方法とは
اَفِى اللهِ شَكٌّ فَاطِرِ السَّمَوَاتِ وَاْلاَرْضِ
「あなたがたは天と地を創造された方、アッラーに就いて疑いがあるのか」[24] という節にも記されているように、全知全能で唯一のアッラーがずべての存在を一人で創造し宇宙を永遠に支配することである。
原因だけを考え自然を崇拝する情けない人よ!
すべての存在の自然が同じく創造物である。それは芸術的で作り直されているからである。原因の結果として出てくる存在のように原因も創造物である。それにすべての存在を創造するには数多くの道具や要素が必要である。そしたらその自然と原因を創造する全知全能のアッラーが存在する。全知全能のアッラーが力のない道具や原因を自分の仕事をする時、協力してもらうはずがない。とんでもない!確かに結果と原因を一緒に創造し自分の力と美しさを見せるとともに、勘違いしてアッラーの力が物事を創造するには不十分だといわれるのを防ぐために理由を隠すための道具として使っているわけである。
ある時計屋さんがまず時計の歯車などを作ってから時計を組み合わせるのと、複雑な機械を作りその歯車の中に入れ時計をその知能のない機械に組み合わせさせるのとどっちのほうが簡単だろうか?2番目に言ったのは不可能であるまいか。では、その情けない頭を使って考えてみて。
あるいは、ある作家がインクと万年筆と紙を持ってきた。それらの道具を使い自分で書いたほうが簡単か?あるいは、その紙、万年筆とインクとともに、書く本よりも複雑で芸術的で面倒でその本だけのための機械を作って、その意識のない機械に・#12381;れじゃお前書け・#12392;言って、ほかに何もしないほうが簡単か?自分で書くよりも100倍難しくないだろうか?
- もし・#12399;い。一冊だけだったら本を自分で書いたほうがもっと簡単であるが、作った複雑な機械のおかげで何冊かの本を短い時間で印刷できる。・#12392;いえば:
- 我々はこう答える:
永遠の創造者アッラーが永遠の力を使って自分の美しさをいつもさらにより美しく見せてくださっている。いつも違う方法で見せるために個人個人の姿をお互いにまったく似ていないように創造し各創造物が違う意味を示している
もし目をもっているならば、人間の顔を見なさい。アダムから今の時代までにおそらく永遠にこの小さな顔で種類をたくさん創造し、各顔にほかの顔と似ないように何かを飾っている。つまり各顔が本である。しかし違いと芸術をはっきり見せるために違う道具と違うスタイルなどが必要になるそれに素材を持ってきて並べて合わせるために違う作業台が必要になる。無理だが自然を作業台としても宇宙から必要な分だけの素材を収集し作業台に持ってきてそこでその素材をバランスよく混ぜるためにまた全知全能のアッラーが必要である。つまり自然を印刷機として考えるのは無意味な迷信である。
さて今の時計と本についての例からもわかるように唯一の芸術家のアッラーが原因を創造するとともに結果も創造する。自らの知恵を通して結果と原因を結ぶ。宇宙の動きについての規則であるアッラーの常に創造しつづけているいくつかの規則とその規則の美しい一面である物事の本能を自らの意志でアッラーは創造してくださった。それにその本質と外部を結ぶ姿を自らの永遠の力で創造されお互いに混ぜたのである。数多くの証拠で証明されたこの真実を認めた方が簡単だろうか。認めるしかないではないだろうか。それとも活気のない、意識のない創造物であり芸術品であるその原因や自然に要素や道具を挙げ仕事させたほうが簡単のだろうか。無意味で理屈に合わないじゃないでしょうか。君の頭で考えてもらいたい。
不信心の自然崇拝者がこう言う:
- 考えてもらいたいならわたしはこう言う:今まで進んできた間違った道は不可能で非常に危ない道であることを告白する。わずかな理解と意識を持つ人間誰でもあなた方の以前の説明からわかるように、原因や自然が創造したということは不可能で無意味であり、それにすべての存在を全知全能の唯一のアッラーが創造したことを認めるほかない。「信仰を持つようになりましたからアッラーに感謝します。」と言い、信じる人になる。
- しかし二つの疑問がある:
疑問1
アッラーが創造者であることを認める。だがいくつかの原因が小さくて大切でない存在や事物の創造に影響を与えるのはアッラーがアッラーであることに害与えるではないか?アッラーの位が下がらるではないか?
答え:
- いくつかのリサーレでも証明したように主権の条件は干渉を断ることである。ただの役人でさえ自分の支配範囲へ息子が干渉することを固く断る。さらに主権に影響与える恐れがあるとして何人かの王が自分の息子や弟を殺すのも先ほどの・#24178;渉の切断規則・#12434;証明する。ある市に二人の市長をはじめ、ある王国に二人の国王まで、主権の唯一性を歴史を見てもよくわかる。
力のなくていつも手伝ってくれる者がいないと生きていられない人間が主権をこれほど気にしているのであれば万物の主で万物の上司である唯一で全知全能で欲なんて持たないアッラーが、自らの主権への干渉を断るのは当然である。
疑問2
- たとえばいくつかの小さな理由がいくつかの小さな存在が礼拝の主となったら原子から星まで礼拝をすでに受けているアッラーへの悪い影響があるのだろうか?
答え:
- 全知全能の創造者アッラーが、宇宙を最も完全な木として創造し、その木の最も素晴らしい果物を意識のある生命とし、それに人をその意識のある果物の中の最も素晴らしい果物とした。さらにアッラーがご自身を人間に詳しく知ってもらい愛してもらうために礼拝を命令したにもかかわらず、つまり人間をアッラーを知り、彼に礼拝するために創造したにもかかわらずその大事な礼拝をアッラー以外のもののためにするのを許すのは無意味ではないだろうか。自らの知恵にまったく反して、創造の目的となっている礼拝を無駄にさせるのだろうか。絶対にしない!
さらに自分の知恵と主権を否認させるように創造物の礼拝をアッラー以外のものにするのを許さないのは当然ではないだろうか。
それに宇宙での非常に多くの出来事を通じて無限に自分を愛させ知らせているのに、素晴らしい創造物の感謝と愛と礼拝を原因のものにするのを許し自分を忘れさせ、創造の目標を否認させないのではないだろうか。自然崇拝をやめた友人よ!言ってくれ!
友人が言う:
- アッラーに感謝する。疑問が二つともなくなった。アッラーが唯一であることと礼拝する価値のある唯一のものであるのを証拠をいくつか言いながら明らかに証明してくれた。この証明を否認するのは朝と夜の存在を否認することと同じだ。
最後に
自然崇拝による不信心をやめ信仰を得た人がこう言う・#30097;問がなくなりアッラーに感謝する。しかし知りたいことがいくつかある。
質問1
- 怠け者や礼拝を断念する人からこのような言葉を聞く:・#12450;ッラーがなぜ我々の礼拝を必要とし、クルアーンでもそれを厳しく命令して、命令に従わないで礼拝を止めるものを地獄に入れるぞと脅かすのか?公平で安定しているはずのクルアーンの言葉ではなぜこのような小さくて価値のない罪に対してひどい罰を与えるのを示す言い方があるのか?
答え:
- はい。アッラーがお前の礼拝を必要としないしそれ以外にも何も必要としない。しかしお前は礼拝する必要がある。お前は精神的に病気である。礼拝は精神的な傷の薬であることをいくつかのリサーレで証明した。ある医者が患者を治すために薬を飲ませようとしているにもかかわらずその患者が医者に向かって・#12354;なたが何で私に薬を飲ませることを必要としているの?・#12392;聞くのはどんなに無意味であるのをわかるだろう。
クルアーンでの礼拝を行わない人に対しての厳しい言葉であるが:ある王(スルタン)民衆の権利を守るために、劣悪な者が民衆の権利を侵害した場合、過失に応じて、厳しい罰をその者に与える。同様に、崇拝行為や礼拝を断念する者は、永遠なる主アッラーの統治下に住む人々(存在)の権利を侵害し、彼らに精神的害を与えることになる。なぜならば、存在の素晴らしさ(円熟さ)は全知全能の芸術家アッラーを称え、崇拝することによって、完成の域に到達するからである。礼拝しない者は(自分がその仲間にいないから)存在のアッラーに向かっている姿、彼らの崇拝行為を見ようとしない、いや実際には、見ることができない。おそらく否認する。その時、アッラーの御名を称え、アッラーを崇拝する高いレベルの人々(存在)や、アッラーの御名や属性を伝え,それらを映し出す鏡のような人々を,いと高き地位から引きおろし、彼らを価値も役目も気力もなく悲惨だとみなし、過小評価して、彼らのすばらしさ(円熟さ)を否定し、攻撃するのである。
誰でも宇宙を自分の鏡から覗く。アッラーは人間を宇宙の秩序とバランスとして創造した。一人一人にこの宇宙のある部分を与え、その部分の色をその一人の心の信仰の状態によって違う方法で見せる。たとえばいつも悲しくて泣き続けている人は周りの存在が泣いているように見る。非常に幸せで明るくていつも笑う人は周りの存在を笑っているように見る。いつも考えていてまじめに礼拝しアッラーの名誉をあげる人は存在が確実に礼拝している様子を見ることができる。うかつあるいは否認のせいで礼拝を止める者は存在を実体とまったく異なる状態で思い込み、素晴らしさを否認し不正を行う。
それに礼拝を止める者は自分のコントロールできないため自分にも被害を与える。その人の意志もアッラーが創造したものでそれに対する不公平な行いもアッラーのものに対する行いとなるからアッラーがその人を厳しく脅かす。それに創造の目標となっている礼拝をやめることはアッラーに対しての不公平な行いとなる。それゆえに罰される。
結局礼拝を止める者は自分の意志にも被害与えるし・/SPAN>人の意志も唯一のアッラーの奴隷である-宇宙の存在に対しても不公平な行いである。さてアッラーが存在することを否認するのは周りの存在に対して不公平な行いであるように礼拝を止めるのも宇宙の素晴らしさを否認することである。それにアッラーの知恵に対して牟礼な行いだから脅かされるのも罰されるのも当然である。
それゆえにクルアーンがこの真実をはっきりするために非常に素晴らしい形で例の厳しい言い方を数多く示しているわけである。
質問2
- 自然崇拝を止め、信じ始めた人がこう言う:・#12377;べての存在がどんなときでもどんなことをやっていてもアッラーの力を必要とするのは非常に大事な真実である。巨大な真実だから完全に理解できない。しかし周りの存在の多様性や唯一のアッラーによる物事の創造のやさしさとクルアーンの
مَا خَلْقُكُمْ وَلاَ بَعْثُكُمْ اِلاَّ كَنَفْسٍ وَاحِدَةٍ [25] <http://www.saidnur.com/foreign/japon/japon.htm>「あなたがた(無数)の創造もまた復活も,まるで一個の魂を扱うようなものに過ぎない。」と
وَمَا اَمْرُ السَّاعَةِ اِلاَّ كَلَمْحِ الْبَصَرِ اَوْ هُوَ اَقْرَبُ [26] <http://www.saidnur.com/foreign/japon/japon.htm>「審判の時の決定は,瞬き一つのようなもの。またはそれよりもっと短いであろう。」という節にも記されているようにこの真実が非常に論理的でわかりやすいことである。物事は何でこんなに易しく起こるのだろうか?
答え:
-20番目の手紙の10番目のことばである
وَهُوَ عَلَى كُلِّ شَيْءٍ قَدِيرٌ 「本当にアッラーはすべてのことに全能であられる」[27] という節にはその易しさの秘密が明らかに示されている。特にその手紙の最後のところにもっとわかりやすく説明されているのだがすべての存在が唯一の芸術家アッラーによって創造されたとした場合、一個の存在の創造のように簡単になる。でもアッラー以外のものが創造したとすれば一個のものを造るのは全てを造るように難しくなる。それで一個の種が巨大な木ほど困難になる。
もし唯一のアッラーが創造したと認めたら宇宙が木のように、木が種のように、天国が春のように春が花のようになり造るのが簡単になる。
それに我々が常に目撃している周りの豊かさと各種類の多様性、物事の容易さ、整頓されるスピードの速さ、芸術的で簡単に行われる創造の秘密を説明し証拠ともなるような例をいくつかのリサーレでも取り上げたように今から述べる。
たとえば百人の軍人を一人の将軍の指図に任せたほうが一人の軍人を百人の将軍の指図に任せることより百倍も容易であるように、軍隊の装備の管理が1つのセンターあるいは1つの法あるいは一人の王に任せられたほうが、一人の軍人の装備の管理がいくつかのセンター、あるいはいくつかの法、あるいは何人かの将軍にまかせられたほうより百倍も容易である。なぜならば一人の軍人い必要な量の装備のために一つの軍隊のための工場が働かなければならなくなるのである。
同様に木の命が唯一性の例の一つとして、一つの根一つの規則一つの地点から出てきているから何千個も果物生み出しているその木が一つの果物のように単純であることが分かる。
もし唯一性を考えずに多数性が認められたら、一個一個の果物をつくるための要素が違うところからくるのを認めることになるのだが、これは一つの果物の生成を木よりも難しくする。おそらくその木の目次ようなものとなっている小さな種でさえ木より困難な方法で作られることになる。なぜならば一本の木が生きていられるための全て要素が一個の種のためにも必要となる。
このような例がたくさんあって唯一性によって100個のものを造ることは多数性によって1個のものを造るより簡単であることを証明している。 この真実がいくつかのリサーレで明らかに証明されているため、ここでは個の容易の知恵、運命とアッラーの力に関する分について少し述べる。
あなたは存在している。始まりのない永遠のアッラーに自分を差し上げたらマッチを一気に燃やすように、無からあなたを一つの命令で有に変えて、創造する。もし差し上げなかったら、つまり原因や理由に差し上げたら、あなたなはこの宇宙の果物であり目次であり宇宙に存在するあらゆる物をある意味であなたの体が含むため、あなたを創造するのに全宇宙を歩き回り、あなたの体の成分を詳細に測って収集しなければならない。なぜならば物質的である原因にできるのは収集することだけである。
ということで唯一であることがどんなに便利なのか分かったでしょう。
二番目の例は:
知識の面でも非常に容易である。つまり:運命とは知識の一つの種類であり全ての物の限界をように決める。それでその運命的な限界が、物事の存在の設計あるいはモデルとなる。アラーの力で物事が創造されたとき簡単にその運命的な限界にしたがって創造される。もしその物事を創造をアラー以外のものが創造したとすれば難しくなるどころではなく何百もの不可能が出てくる。なぜならばその運命的な限界、知識的な限界がなければ数得られないほどの限定や限界が一匹の複雑な体している動物の創造に必要となる。
だから唯一性のほうが多数性より理屈に合うのを分かったでしょう。
وَمَا اَمْرُ السَّاعَةِ اِلاَّ كَلَمْحِ الْبَصَرِ اَوْ هُوَ اَقْرَبُ [28]
「あなたがた(無数)の創造もまた復活も,まるで一個の魂を扱うようなものに過ぎない。」のことばがまさに真実であるのを知りなさい!
質問3
以前敵であって今友人となった人がこう言う:
- この時代ではやりすぎた哲学者たちの何人かがこう言っている:無から何も創造されていない。有からも何も無くされない。変化だけでこの宇宙という工場が働く。
答え:
クルアーンの光で周りを明るくしていない哲学者たちが考えて自然や原因が・/SPAN>以前証明したように-この宇宙にある物事を創造するのは無理であるのがわかった。それで二つのグループにわかれた。
一つのグループが奇弁家になり人間特有の知性を捨て、最も愚かな動物よりも愚かになり自然や原因が物事を創造したという考え方を認めるよりもっと簡単だからという理由で、宇宙の存在を否認するだけでけでなく自分の存在まで否認し、絶対的な無知を表した。
もう一つのグループはよく考えて理由や自然が種や小さな蝿を創造することに数えられないほどの困難があるのを分かった。それに人間の知性を超える力の存在を感じた。したがって仕方なく創造を否認し無から有は創造できないと言う。そして無くなるのも不可能だと言う意味で有は無になるはずがないと言う。しかし偶然的な収集や風などの影響で宇宙が生じたと想像している。
ほら、愚かさの限界に立っているにもかかわらず自分のことを天才だと思っている人々を見なさい。それで無知であることが人をどれほど最低な存在に変えるのかを見て教訓としなさい。
毎年40万を超える種類を一気に創造し、地と天を6日間で造り、6週間で毎春、宇宙よりも芸術的である世界を造り出す永遠なる力の主アラーが無から有を造ることができないとは無意味で愚かな考えであり、前に述べた奇弁家のグループの考えよりも馬鹿げた考えである。例の力の無い愚かな人々は自分たちで何も造ることもできず無くすることもできなく、信じている自然と原因はどうしても無から何も造ることができないので愚かさのあまり・#28961;から有が造られず、有も消滅しない。・#12392;言ってこの間違った規則をアッラーにも与えようとする。
さてアッラーの2つのタイプの創造がある。
1つ目のタイプはが無から造る。つまり何も無い状態から必要なもの全てを無から取り出し創造する。
2つ目のタイプは設立と芸術である。つまり知恵の素晴らしさといくつかの名前の美しさゐ知ってもらうために宇宙にすでに存在しているものをきれいに集め何かを設立し命令に従う原子や分子や物質全てをその設立した存在のところに送り働かせる。
絶対的な力を持っておられる全知全能のアラーの2つのタイプのつまり創造と設立と言う業がある。無から有を造ることと有を無くすのは最も簡単、連続的一般的な規則である。春に30万以上の種類の生命体の形や特徴つまり成分になっている物質(原子、分子)以外の全てを無から造る主に向かって・#28961;から有を造れない・#12392;言う人間は無になるべき!
自然崇拝を止め、真実を認めた人がこう言う・#12450;ッラーに宇宙に存在する原子の数ほどの感謝をする。信仰を私に与えてくださいました。迷いや無知から救われたし疑問も無くなった。
[29] اَلْحَمْدُ ِللهِ عَلَى دِينِ اْلاِسْلاَمِ وَ كَمَالِ اْلاِيمَانِ
「イスラーム教と信仰の完璧さをくださったのでアッラーに感謝する。
[30] سُبْحَانَكَ لاَ عِلْمَ لَنَا اِلاَّ مَا عَلَّمْتَنَا اِنَّكَ اَنْتَ الْعَلِيمُ الْحَكِيمُ
「あなたの栄光を讃えます。あなたが,わたしたちに教えられたものの外には,何も知らないのです。本当にあなたは,全知にして英明であられます。」
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[21]脚注:この論文が書かれた理由は非常に攻撃的でふさわしくない方法で信仰真理が弱められ、自分の理解力が及ばないことを迷信だと言い、無神論が自然と結びつき、クルアーンを攻撃するからである。その攻撃は心に厳しい怒りを与えたため、無信仰で真実を忘れたもの達は厳しく戒められた
[22]聖クルアーン、 イブラーヒーム章14:10 より
[23] アッラーとのその関係が存在するとき、種は、本当にアッラーから命令を受け取って、すばらしい義務を果たす
[24] クルアーン イブラーヒーム章14:10より
[25]聖クルアーン、ルクマーン章31:28より
[26]聖クルアーン、蜜蜂章16:77より
[27]聖クルアーン、蜜蜂章16:77より
[28]聖クルアーン、ルクマーン章31:28より
[29] お祈りのことば
[30]聖クルアーン、雌牛章 (アル・バカラ)2:32より